24時間テレビ放送を控えて情報が出てきているこの時期、毎年必ず話題になるのは
マラソンランナーは誰?
ということ。
今年のランナーと共に、一度過去の歴史を振り返ってみませんか?
今では考えられない、人気絶頂のアイドルも走っていたんです!番組終了19時間前に余裕でゴールしちゃったのは誰!?など
過去の24時間マラソンランナーとその距離などを当時のエピソードと共にまとめました。
Contents
24時間テレビマラソンランナー2019
今年2019年のマラソンランナーの発表はかなり焦らして小出しにしていますね!現時点で発表されたのはいとうあさこ、ガンバレルーヤよしこ、近藤春菜
4人での駅伝形式と発表されているので、もう1人は誰だ!?が話題になっています。実力派女優さんなのに体を張ったりする木村佳乃か?という声もありますがどうなんでしょう。
「24時間テレビ」チャリティーランナー3人目はハリセンボン近藤春菜!いとうあさこ、よしこと駅伝 https://t.co/YR1qv0qsk0
— スポニチアネックス (@sponichiannex) August 10, 2019
24時間マラソンは1人で走るイメージがありますが、過去にも数人で走った年はあります。
24時間マラソン歴代のマラソンランナー
1992年にマラソンが開始された年から途切れることなく毎年注目を浴びています。
1992年マラソンランナー 間寛平
間寛平さんは最初のランナーでありながら、この年以降もなんどもランナーをつとめ、さらにマラソンが得意というのもあって誰よりも長距離を走っています。
当初200キロを走る予定でしたが
1993年マラソンランナー 間寛平
マラソンが得意な間寛平さんが2年連続で走っていたことで、マラソンランナーは走りが得意な人が務めるものかと思われていました。
200キロを走り、放送内で走った記録としては最長で未だ抜かれていません!
1994年マラソンランナー ダチョウ倶楽部
第3回目はダチョウ倶楽部。
3人で100キロを走りました。時間内でのゴールは出来ませんでしたが完走しました。
ビートたけしが「2キロくらいしか走ってないだろ!」と突っ込んでいましたが当時は追跡する人もいなかったので謎のままです。でも2キロってことはないんじゃあ…
1995年マラソンランナー 間寛平
3回目の間寛平さん。
神戸から600キロを1週間で走り抜きました。
そう、24時間じゃなかったんですね。この神戸からの理由はこの年は阪神大震災があったことから、勘平さんが希望して決まったものでした。
1日120キロのペースで走っているのでレベルが違う!
1996年マラソンランナー 赤井英和
1996年は赤井英和さんが走りました。
「つなげよう!愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」と題した600人の一般参加者が南北組に分かれて計3600kmを2チームで日本横断するという企画
赤井さんは2チームが合流した後の残り100km地点でアンカーとして走りましたが、一般参加者の到着が遅れたことにより赤井さんの出発時間が大幅に遅れ、元ボクサーの赤井さんは100km程度なら余裕を持ってゴール出来るとされていましたが、結果放送内には間に合わなくなり、番組史上初の放送時間延長を行いゴールを見届けることが出来ました。
1997年マラソンランナー 山口達也
この年はTOKIOの山口達也さん。
山口さんは当時25歳で約100キロを走りました。若さもあり安心して見てられると思いきや、途中で右足損傷によりかなりキツそうな走りとなりました。
1998年マラソンランナー 森田剛
2年連続でジャニーズメンバーがマラソンランナーとなったこの年はV6の森田剛さん。
19歳で最年少で100キロを走った森田剛さんはこの時アイドル人気絶頂期。ジャニーズの人気絶頂アイドルが走るなんてことは今ではなかなかないですよね。
一目見ようとかけつけたファンの数も例年以上でした。
両足に激痛を抱えたり脇腹を抑えてうずくまってしまったりと、辛そうでまだ10代だった森田さんが懸命に前に進む姿が胸を締め付けました。
1999年マラソンランナー にしきのあきら
1999年のマラソンランナーはにしきのあきらさん。
50歳で110キロを見事完走!と言われましたがその後の24時間テレビで、還暦を過ぎて「津軽海峡をリレーで泳ぎ渡る」チャレンジをしていたので実は割と余裕だったの?すごい体力です。
2000年マラソンランナー トミーズ雅
2000年はトミーズ雅さんがランナーを務めました。
当時、40歳での150キロを走りました。
2001年マラソンランナー 研ナオコ
2001年のランナーは研ナオコさん。
48歳で85キロを走り、女性としては初でした。これを皮切りに女性ランナーが増えていきます。
研さんはこの数年前に手術歴があったことから完走出来るのか心配されましたが、休憩所をいくつか飛ばし一睡もしないで完走しました。
2002年マラソンランナー 西村知美
2002年のランナーは西村知美さん。
当時31歳で100キロ走りました。
ホノルルマラソンの経験もあった西村さんは夫と涙の完走で幕を閉じましたが、放送後に「ワープ疑惑」が問題視されるようになりました。
というのも、2日目の夕方に残り30kmと表示されていた距離が1時間後に10kmになっていたのです。番組側のミスの可能性もあるかもしれませんが、ご本人も番組も何も説明がないままなのでネットでは「車移動したんだろう」と噂になっています。
2003年マラソンランナー 山田花子
2003年は山田花子さん。
28歳での110キロ走りました。
ゴールしたらTOKIO松岡くんに抱きしめてもらうのを目標に公言してスタートしましたが、残念ながら残り4kmのところで番組が終了。
ですが放送終了の1時間後にゴールし、テープの前で待っていた松岡さんに抱きしめられ念願叶いました。
ちなみに、この前年の西村知美さんのワープ疑惑を受けてこの年からTwitterなどでランナーを監視している「24時間マラソン追跡団」が結成されたようです。
2004年マラソンランナー 杉田かおる
2004年に挑戦したのは杉田かおるさん。
39歳で110キロを走りきりました。
この年は番組自体がスタートが遅れ、マラソンのスタートも約30分遅れましたが番組内で見事に完走しました。
2005年マラソンランナー 丸山和也
2005年は当時弁護士だった丸山和也さん。
59歳という年齢で身体を心配されましたが、100キロを見事完走しました。
行列のできる法律相談所に出演していたことがきっかけだったランナー選出ですが現在はタレント活動は減少し本職でお忙しくされています。
2006年マラソンランナー アンガールズ
2006年の挑戦はアンガールズの2人。
コンビ2人30歳で100キロを走りました。
この年は中継中のマイク切り忘れでインパルス・板倉さんの暴言が放送されてしまったり、応援に来ていた観覧客にスタッフが睨みつけて怒鳴るシーンが映ってしまったりとアクシデントが続きました。
2007年マラソンランナー 萩本欽一
2007年は萩本欽一さん。
当時66歳で、それまでで最高齢での挑戦で、70キロを見事完走。
残念ながら残り約900mを前に番組は終わってしまいましたが、放送終了後にしっかりと完走されました。
この年のゴール直前には”歴代”瞬間最高視聴率43.9%を叩き出し、これは今でも更新されていません。
2008年マラソンランナー エド・はるみ
2008年はエド・はるみさん。
113キロを走りました。当時44歳でいつかランナーに選ばれることを夢見て、自主トレを6年間ほど行っていたそうで準備はバッチリ。
女性としては当時歴代最長の113kmをゲリラ豪雨にも負けず完走しました。
2009年マラソンランナー イモトアヤコ
珍獣ハンターで人気のイモトがマラソンにも挑戦。世界の名だたる山にも登っているイモトアヤコさんなので期待されたその走りは距離にして126.585kmでフルマラソン3本分を23歳で走りきりました。
大好きな手越くんに迎えられていたのが印象的なゴールでしたね!
2010年マラソンランナー はるな愛
2010年ははるな愛が初のニューハーフランナーで当時38歳で85kmを完走。
この24時間マラソントレーナーとして有名な坂本雄次さんは手術のために常時の併走はで叶わず、日本武道館までの最後の1kmは併走し感動を呼びました。
2011年マラソンランナー 徳光和夫
総合司会としてランナーを見守る側だった徳光和夫さんが2011年ついにマラソンランナーを70歳で務めました。
距離はこの年だけは終わった後に63kmと発表。推定43kmとも54kmともネットで言われていますが、追跡班によって63キロは証明されていました。
2012年マラソンランナー 佐々木健介・北斗晶ファミリー
2012年は初の家族で佐々木健介・北斗晶ファミリーが挑戦。
当時のそれぞれの年齢は佐々木健介さん(46)北斗晶さん(45)佐々木健之介くん(13)佐々木誠之介くん(9)
誠之介くんが番組史上最年少でのランナーです。
4人で500m→健介さん(61.6km)→健之介くん(6km)→誠之介くん(4km)→北斗さん(47.9km)の順に走り完走しました。
2013年マラソンランナー 大島美幸
2013年は森三中の大島美幸さん。
自身の体重から決まった走行距離88キロと発表していますが、それ以上を走っていたことが、追跡班によって証明されたことでも話題です。
(93~94kmほどだったそうです。)
2014年マラソンランナー 城島茂
2014年のマラソンランナーは森田剛さん以来久しぶりのジャニーズTOKIOの城島茂さん。
挑戦当時は43歳でジャニーズ最長の101キロを完走。
2015年マラソンランナー DAIGO
2015年のマラソンランナーはDAIGOさん。
37歳で約100キロを完走しました。お昼を過ぎた頃から暑さに加え足の痛みが限界に近づき身体が悲鳴をあげていましたが、声援に答え一歩づつ武道館へ
最後は涙のゴールとなりました。
2016年マラソンランナー 林家たい平
2016年のマラソンランナーは林家たい平さんが51歳で挑戦。
100.5キロは歌丸師匠本名の椎名巌(しいないわお)ちなんだ数字だそうで、この走り自体を歌丸師匠に捧げていました。
2017年マラソンランナー ブルゾンちえみ
2017年のマラソンランナーはブルゾンちえみさんが27歳で90キロを走りきりました。
芸能人ランナーで平成生まれは初でした。加え史上初の放送当日のランナー発表。それまでSNSなどでランナーを予想する声が飛び交っていました。
この年はブルゾンちえみさんの濃いメイクが全然完走まで崩れなかったことがかなり話題になりました。
2018年マラソンランナー みやぞん
2018年の24時間テレビマラソンランナーはANZEN漫才のみやぞんさん。
今回はマラソンだけでなく、トライアスロンに挑戦というかなり過酷なものでした
スイム1.55キロ、バイク60.4キロとラン161.55とかなりすごい内容。
24時間テレビマラソンでリタイアした人は
24時間テレビのマラソンリタイアは過去に1度だけありました。
歴代の中では唯一、事前に走行ルートが公開されていましたが、そのせいで見物客が殺到。
交通の妨げになりやむ無く153km地点で「途中棄権」をせざるおえなくなりました。
これが理由でかは不明ですがこの年以降出発地やマラソンの経路は非公開となりました。
放送時間にゴールできないことはあっても本人の続行不能によるリタイアはありません。
24時間テレビ歴代マラソンランナーまとめ
運動が得意なタレントや大物タレント、若手、その時人気の人など様々な人が選出されてきていますが、本人希望によるリタイアが一度もないのはすごいですよね。
昨今はTwitterなどSNSで目撃情報や追跡班の報告などで拡散されたりとテレビ側も安全面の考慮や構成をさらに求められることに加え24時間テレビに対して「チャリティ番組なのにギャラが高い」と存在を疑問視する声も広がっていることから年々工夫を凝らしたものを発表しますね。
今年は4人での駅伝形式。もう1人のランナーの発表が待たれますがどんなドラマを見せてくれるんでしょうか。